"引っ張るのではなく、押す。"
第一温調工業株式会社の社長、大内弘之が心掛けることの一つだ。
「社員にはお客様のニーズに応えることをお願いしている。それができるように社員とその家族を、私は全面的にバックアップしていく。」
福島市など福島県北を拠点に新築、改築問わず建物の空調や換気設備、給排水・衛生設備の設計から施工・修理・保守管理業務を担う。社長に就任して2021年現在で15年目。大内は社員の背中を押し続けている。社員教育にも熱心。例えば、業務上必要な資格取得に際して、受験手続きや費用など会社側が負担する。コロナ禍以前は、社内でゴルフコンペや旅行、慰労会など定期的に開催。社員同士の交流を図るだけでなく「お客さんとの話題作りにしてほしい」と話す。「教養と言うと大げさですけど、いち社会人して最低限の知識や教養はあった方がいいのかな、と思って進めていますね。最終的にはお客さんと会話をしながらの仕事になるので」。
社員には「仕事を通じて地元に恩返しをしたい。そのために、お客さんに精一杯対応して頂きたい」と現場に送り出す。
地域への恩返し。
それこそが会社としての、そして大内の大きな原動力の一つである。
県北地域に根付いて、1968年の創業から今年で52年。「地域の人から、ずっと仕事を続けて欲しいと言われる企業になりたいですね」と地域への感謝を続ける。思いを一層強めたのは震災だった。
3.11直後、作業中の現場は全てストップ。社員総出で避難所などへの給水活動に励んだ。普段の工事現場では、一般の人々と関わることはあまりない。「給水を受けた人から『本当にありがとう』と言われました。初めて仕事で感謝されました」と嬉しそうに報告してきた社員の言葉を、大内は今でも忘れないという。
その後、待ち受けていたのは建物の復旧や仮設住宅建設に関わる業務だった。広い範囲から多くの依頼が舞い込み、どれも納期は短期。社を挙げての総力戦が続いた。あれから10年。本社のある福島市周辺はある程度、復旧が済んだ。未曾有の災害を乗り越え「業界人として自信ができたのかな」と振り返る。同時に、地元に密着して仕事に取り組めるありがたさを実感できた年月だった。
19年秋の台風被害に、昨今のコロナ禍。数年先の見通しも立てられないような状況が続く。それでも「あれだけのことから立ち直れたので、ちょっとやそっとでは大丈夫かなという気はしています」。震災から立ち直った経験を胸に、社員一丸で邁進するつもりだ。
大内が社長に就任したのは震災の5年ほど前。2007年の事だった。当時51歳。就任の経緯について「消去法で」と謙遜する。第一温調工業一筋だったわけではない。大卒後は東京に出て最初の就職。しかし企業の規模が「大きすぎて合わなかった」。3年で福島に戻る。2年ほど喫茶店勤務を経て、親戚の紹介で第一温調工業の存在を知る。今から38年前。1983年の事だった。「親戚のおじさんに言われたから行くか、そんな感じでした」と振り返る。
自称「何でも屋」。入社後は営業を皮切りに総務、そして現場業務など、数々の部署を渡り歩いた。「今となってはそれが非常に役立っている」。目の前の仕事に向き合ううち、リーダーに必要な多角的な視野を身につける事ができた。
余談だが、マルチに業務をこなせる素地は、学生のうちに養われたのかもしれない。大学時代はアルバイトに明け暮れた。職種も様々。家庭教師、運送会社での梨の集荷、国会議員の運転手、バーテンダーなど多岐に渡ったという。
施工に関する専門的な知識や技術は働きながら身につけた。第一温調工業にはそうした人材が少なくなく、第一線で活躍している。「(専門的なことは)入ってからでも構わないんです」と大内は力を込める。
地域のために、未来に残るモノ作りに携わる。そうした喜びを感じることができる新しい仲間のための扉を開いている。「地元のお客さんに愛されるというか、感謝されるような仕事をすれば、満足して動けると思う。そういう人に来てもらいたいですね。」
来た者の背中を押す準備はできている。